金容崙   japanese korean  
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我々の人生を盛る皿 土への還元 岩のように 韓国陶芸と金容崙
     
  土への還元
 
 
何かを盛るということは内容と形式が同時に必要です。その内容には精神的な面と実用的な面があるのですが、陶芸というジャンルはすぐ実用的な面が強調されがちです。
ところで、韓国の陶器は即実用というのを前提にしたにもかかわらず、現われた器の形態はすぐれた造形の美を持っているのです。この造形の美は我が民族の心性と深い関わりを持ち、根拠はそのロケーションにあります。朝鮮半島の地理的な条件を土台にして気候と地形そして生の形式が反映されたものなのです。したがって造形の美というのは単純な結果物ではなく、その民族の生と、その生の根底であるロケーションとに非常に深い関係を持っているのです。すなわち、高麗時代の青磁、朝鮮王朝の白磁、粉青はその時代の独特な美感を発現しながら生活とともに存在して来たといえるでしょう。

21世紀のこの時期、朝鮮時代や高麗時代に活発だった陶芸に対して話すということは無意味に聞こえることもあるかもしれません。しかし、何もない土が人間の手によって適切な形態を造り上げる芸術的な過程には、単純な労働以上のことが隠されています。その現われた結果が陶芸という形式の器ですが、手の平と指そして全身を使ってきれいに手入れをされた結果物は、実用という、人間の心、生を満たしてくれる適切な形式になっています。
手と心によって器を造る作業は、現われた結果以前に一人間としての存在を確認する過程とも言えましょう。作業する人が存在に対してどういう考えをしようと、本人の意志とは何らの関係もなく自然に一つの過程に与かるようになるのではないでしょうか。その過程が楽しみです。そこに生の根拠があるからです。

 
     
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